2016年10月に料理研究家の土井善晴氏が出したエッセイ本『一汁一菜がよいという提案』が注目を集めて以降、“一汁一菜”という言葉を様々なところで目にするようになり、少し馴染みのある言葉になってきたのではないでしょうか。
私も実際に読みましたが、ちょうど2016年度に育児休業から復帰し、時短でありながらも仕事と家事を両立しようと四苦八苦していた頃であったため、この提案には目から鱗の状態でした。
今回は、一汁一菜に見られる献立の価値観と、それをもっと気軽に取り入れるための食生活について考えてみます。
1.献立の価値観の擦り合わせ
こんにちは、献立作りを不要にする栄養コンサルタントの高野( @takano_nao)です。
小さい頃から学校では、一汁三菜が献立の基本であると学習し、私も結婚してからは実践しようと試みてきました。
でも、もともと料理に対する興味が薄く、料理経験もそれほどなく、苦手意識がある私にとって、料理は苦行といってもいいくらいのものでした。
それが日々の習慣により、7年ほどかけて何とか精神的な負担は薄れてきましたが、それでも毎日栄養バランスや品数、見た目を整えることはハードルが高いものです。
自分一人なら簡単に献立の在り方を変えることもできますが、家族の希望があると自由に変えるのが難しいこともありますよね。
献立作りの負担に悶々としていたところ、著名な料理研究家の方が、毎日の食事はご飯に具沢山のお味噌汁、お漬物で足りるものだ、と提案されていると知れば、それはもうこれまでの一汁三菜信仰から解き放たれたような軽やかさが走ったことを覚えています。
食べ方や食の価値観は、長い年月をかけて個人の中で育ってくるものなので、自分だけが変えたいと思っても、まわりの人の価値観まですぐに変えることは難しいかもしれません。
このような提案が世に出されても、まだ一汁一菜にすることへの抵抗感、罪悪感のようなものを少なからず感じることがあると思います。
斬新な食スタイルを取り入れることはとても大きな変化。
社会でも個人でも、価値観の過渡期はそのようなものだと思います。
ともに暮らす家族と、普段の食べ方や食のスタイルについて十分に話し合い、価値観を擦り合わせることが大切だなと思います。
2.一汁一菜と栄養との関係性
この一汁一菜の考え方については賛否もあります。
✔︎栄養学的に問題はないのか
✔︎日常から和食文化が失われてしまうのではないか
✔︎国が推奨している食事バランスガイドの趣旨と相反するのではないか
私自身、この一汁一菜のスタイルに対してとても魅力を感じますが、まだ実生活で完全に実践はしていないという状況です。
理由としては、これまで一汁三菜を理想としてきたため、
✔︎急にスタイルを変えると食卓が貧相に見えないか
✔︎ワンパターン化することにより飽きがこないか
✔︎味覚が発達中の子どもの成長に影響はないか
など気になることがあるためです。
それでもやはり、一汁一菜のエッセンスは取り入れたい。
そう思い、具沢山の味噌汁やスープを中心に、少しの主菜や副菜を作るスタイルを取り入れています。
栄養学的にも、見た目にも、肉や魚が入った汁物は1品だけで華やかに見え、食材を増やすと栄養バランスも◎。
毎食使う食材を変えれば、1日ではかなりの食品数になる上、余裕があればスープのほかに小鉢1つを添えると栄養は十分に満たすことができます。
3.家庭料理はもっと自由に
時代が変わり、働き方が変わる中、家庭料理は必ず一汁三菜でなければならないという価値観も変わっていきます。
一汁三菜が用意できなくて、ママが自己嫌悪に陥ったり、家族で喧嘩になっては本末転倒。
この考え方に賛否はあるけど、全て認めた上で、もっと気軽に日常に取り入れていいんじゃないか。
週何回かは一汁一菜に、ほかの日は二菜、三菜に、であっても問題はないはず。
料理の品数を問わず、家族みんなで温かな食卓を囲むことができたら十分。
私はそう思っています。
“毎日一汁三菜でなくていい”
“毎日一汁一菜にしなくてもいい”
家庭料理は、もっと自由に、心地よく、笑顔になれる力を備えているもの。
日々の献立で延々と悩むより、自分に一番合うスタイルで食卓を作っていきたいと思うこの頃です。
今回は、一汁一菜に見られる献立の価値観と、それをもっと気軽に取り入れるための日々の食のあり方について考えてみました。
家庭の数だけ食べ方があります。
従来からの価値観や、自分の中で“やらなければ”という脅迫観念のようなものは誰もが抱えているもの。
でも、今の生活を、時間を、自分の気持ちさえ犠牲しながらでも、本当にやらなければならないことなのか。
食事を作る側の精神的、物理的な負担を一人ひとりが考えていく必要があると感じています。
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